ムーミントロールの創世記
八月もおわりの、そう、夕方にちかいころだったでしょうか。
ムーミントロールとそのママは、大きな森のいちばん深いところにやってきました。
という書き出しで始まる、ムーミンシリーズの「創世記」といえる第1作目のこの作品は、第二次世界大戦の直後1945年に限られた部数で出版されたきり、ながいあいだ絶版になっていました。
まだ誰にも知られていない頃のムーミンは、やせていて、鼻が長く、口が描かれていることもありました。
原作を書き直さなかったトーベ
私はこの第1作目がたいへんに好きなのですが、理由のひとつはトーベが「作品を書き直さなかった」こと。
もうひとつは、「水彩で描かれた挿絵の美しさ」
フィンランドとスウェーデンで、文章もさし絵もそのままで、再び出版されたのは、1945年の初版から46年もたった1991年でした。
トーベは作品をすっかり書き直そうかと思い、途中までやってみたところ、考え直して、そのままのかたちで再出版を決めたのだそうです。
そのことを、トーベはこう語ります。
「たしかに、今の私の方が文章力はあります。でも、むかしの作品にはそれなりの魅力があるのです。未熟なところがあるかもしれないけれども、それだからこそ書けたというところもあります。
ひたむきな情熱というか若さというか、そういうものが、この作品にはあります。いま書き直すと、そういうものが失われてしまうような気がするのです。」(訳者あとがき より)
トーベがこの本の構想をおもいたったのは、1939年の冬。
その少し前、ナチス=ドイツがポーランドに侵攻して第2次世界大戦が始まり、トーベの弟ペール・ウロフや友人たちも戦地へ。親友のエヴェはアメリカへ渡り、ヘルシンキにも爆弾が投下される...
ムーミン物語の誕生について、トーベはこう語っています。
「本業は画家だけれど、1940年代の始め頃、あまりに絶望的な気持ちになったので、おとぎ話を書き始めたのです。」
木の上で救助を待つムーミンパパ
雨の中ムーミンパパを探す さし絵(部分)
水彩で描かれたさし絵の美しさ
第1作目の物語には、水彩のウオッシュ技法で描かれた、白黒のさし絵が多数、挿入されています。
「トーベは灰色の濃淡を使って、荒れ狂う嵐の海を、盛り上がる波を、降り続く雨を、そしてうっそうと茂る森の木や咲き乱れる花を見事に表現している。
残念ながら当時の印刷技術では、ウオッシュ技法の微妙な色合い、水彩の濃淡やぼかし、グラデーションの変化をそのまま再現することはかなわなかった。本の装丁も美しい原画とはほど遠かった」
(ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソン より)
「わたしの家だ!」 さし絵(部分)
「ムーミン谷の彗星」は、ペン1本で表現していくイラストに改訂しているので、水彩の挿絵が見れるのはこの第1話だけです。
「さいごに、みんなは小さな谷にやってきました。この日見たどんなところよりも美しい谷です。その草地のまんなかに、タイルばりのストーブにそっくりの家がたっています。とてもすてきな青いペンキぬりの家です。」
若きトーベのひたむきさ、精魂こめて描かれている水彩画。
シリーズの中で、もっとも美しい作品なのではないかな、と思っています。
Söderström & Co publishes the first Moomin story – The Moomins and the Great Flood – in Swedish.
It is the story about Moominmamma’s and Moomintroll’s search for the missing Moominpappa and how they found their way to the Moominvalley.
ムーミン母子が、失踪してしまったムーミンパパを捜し、ムーミン谷へたどり着く道のりを描いた作品。
原作はスウェーデン語 1945年