得体の知れない星空と闇
前作「小さなトロールと大きな洪水」と同じように、物語の舞台は8月です。
トーベ・ヤンソンは8月が自分自身の誕生月で、8月を描く作家と言ってよいほど、たびたびこの季節が登場します。
おさびし山の天文台へ旅の途中、ムーミントロールはスナフキンにはじめて出会います。
名もない生き物と呼ばれていた「スニフ」が、どうくつを発見したり、ムーミントロールといっしょに旅に出たりと存在感があるのも、前作と同様です。
ペンギンのペーパーバック
私自身は、ムーミンのアニメをほとんど見たことがないのです。
トーベ・ヤンソンの原画にふれる入り口になったのは、70年代イギリスのペンギンブックスのペーパーバックでした。
書店の店頭に置かれた、カラカラ回る円筒にディスプレイされていた当時のペーパーバックの表紙は、眺めているだけでも魅力的でした。
ペーパーバックのムーミンシリーズをありったけ買いました。
トーベ・ヤンソンの挿絵の魅力に取りつかれて、画材屋さんに行ってペンと紙とインクを買って、ひたすら真似して描いて遊んでいたのです。
14、5歳の頃です。英文は読める範囲で読み飛ばすだけでしたが、何となくストーリーは通じていたように思います。
「黒い宇宙の中に、大きな星がいくつも、まるで生きているように息をしていました・・・」
シリーズでいちばん印象の強かったさし絵が、この2作目となる「ムーミン谷の彗星」だったように記憶します。
天文台の世界最大の望遠鏡で、宇宙をのぞく絵は、ゴッホのサン・レミーの星月夜のようでもあります。
得体の知れないような迫力を感じた星空も、漆黒の闇もどうやって描いているのだろうかと、真似しようにもとても出来なかったのでした。
色彩が失われてしまうこと
1944年の冬、ソヴィエト軍によるヘルシンキへの爆弾投下、朝の5時に街が燃える空襲警報、トーベ・ヤンソンのアトリエの窓も粉々に砕けます。
『ムーミン谷の彗星』も、前作と同じように戦争がトーベに描かせた物語です。
スナフキンのハーモニカは音を失い、ムーミンたち旅の一行は、砂丘の続いた、あれはてた風景に出くわします。かつてあったはずの海も、波もカモメも消えて、いやなにおいがしています。
「あのうつくしい海が・・・どこにもない。」
船あそびも、水泳も、魚つりもできない、ものすごい嵐もなく、すきとおった氷もない、月が姿をうつすこともない砂浜に、もう波はうちよせない、何もかもないんだ・・・と嘆くスナフキンのそばに、ムーミントロールが腰かけて言います。
「また帰ってくるよ。彗星がいってしまったら、みんな帰ってくるよ。そう思わない?」
ふたりの会話は、そのまま戦時中のトーベや家族の声でもあったでしょう。
地上で夕方になると聞こえてきたやさしい音の数々、夜風にそよぐ木の葉の音や、鳥のさえずりや、帰宅をいそぐ足音などを、みんなはなつかしく思います。
8月の彗星と、どうくつ
また、この彗星の描写などには、1945年8月に広島と長崎に投下された原爆の影響がうかがえるといいます。
彗星が地球にぶつかる時刻は、8月7日金曜日の午後8時42分。
全員が彗星から避難しようと身を寄せたのは、「スニフの見つけた洞窟」でした。
一生にいちどしか見つからないか、一生かかっても見つけられないような「どうくつ」です。
地面はきれいな砂で、かべは黒くてすべすべしていて、天井には一つ穴があいていて、青い空の見える窓になっている。
砂は日光であたたかでした。
スニフの見つけたどうくつも重要な役割を果たします。たとえ彗星が衝突しようとも、避難場所として子どもを守る母親や生命の象徴です。
紙から迫ってきたリアリティ
1940年代のトーベは、一流の風刺画家でもありました。
自由を奪うもの=戦争に対して、時の独裁者に対して、鋭いペン先でガルム誌に風刺イラストを描いていたのです。
『ムーミン谷の彗星』について、トーベは大幅に作品の書き直しをしていて、私が手にしたペーパーバックは初版の水彩画ではなく、ペン画に変えたものでした。
孤独感や不安感に満ちたさし絵の圧倒的な迫力。
戦争があろうとも、根底にあるトーベの描く自然の美しさ、ある種のリアリティが、ペーパーバックのざらざらした紙の印刷から迫ってきました。
日本でアニメ化されたムーミンのイメージが出てくるのは、戦争が終わって色彩と海岸と嵐が戻ってきた、次作の「たのしいムーミン一家」からでしょうか。
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