トーベ・ヤンソン「誠実な詐欺師」 True-Deceiver

「いつものように暗い冬の朝、雪はあいもかわらず降りつづく。灯りのついた窓はひとつもない。
・・・ここひと月、この海辺の村は降りしきる雪にみまわれていた。記憶をさかのぼっても、これほどの大雪が降ったことはない。扉や窓に吹き寄せ、屋根にずしりと重く、片時もやむことなく落ちてくる。・・・まっさらな雪の下、村は音もなく横たわる。」 

北欧の長く寒い冬。

降り続き、降りつもる雪のようなリズムで、ミステリアスに、どこかしら少し現実からずれてストーリーが進んで行く。 




カトリ・クリングの 「Wolf eyes」

カトリ・クリングは弟のマッツと雑貨店の屋根裏に住んでいる。

夜明け前、灯台のある岬に向かう。
狐のえり巻をして、大きな犬がカトリに寄り添う。
(トーベ・ヤンソンの油彩「山猫の毛皮をまとった自画像」を思い出す)

カトリの眼は黄色。
カトリ・クリングは人を信じない。
6歳から守り育ててきた弟と自分自身にしか関心がないみたいで、近よりがたい。
しかし、数字の才能のあるとても利口な娘。

カトリは25歳、弟のマッツは15歳。
マッツは上背があって力は強いが、愚直にボートとボートを作ることを愛している。 

f:id:Merimaa88:20160311232018j:plain
表紙イラストもトーベ・ヤンソン

カトリはお金、たくさんのお金のことを考える。
すみやかに手に入れたい、そして懸命に、誠実に、蓄える。
お金のことなんか考えずにすむように。ありあまるお金がほしい。 

何よりもまず弟のマッツにボートを与えたい・・・

お金は臭うと人は言う。それは嘘だ。
お金は数字と同じようにきれいで、臭うのは人間の方。
 

アンナ・アエメリン「Flowery rabbit」

灯台のある岬。

そこにある屋敷(ウサギ屋敷)に、アンナ・アエメリンが住んでいる。
たった、ひとりでお金に埋もれて。
両親の遺産や、本の印税や、キャラクター権の収入。

アンナは、悪意をむきだしにする必要にせまられたことはない。
つかみどころなく、自分の流儀をつらぬいていく。

アンナは森の情景を、本質を、詳細に描く絵本画家。
残念なことに、アンナはウサギたちを描き込んで絵を台無しにする。
小さな花柄のついている、うさぎのパパ、ママ、子ども。 


(以下は、物語のネタバレを含みます・・・)


カトリは・・・誰もが場をとりつくろうためにする会話も、言い訳もしない。
愛想よくするとか、当座をしのぐとか、無意味な形容とか。

マッツはボートの図面をひく。 
忍耐強い観察と、ボートに注ぎ込む愛情と配慮で図面をひく。


たえまなく降り続く雪の中で、物語は動いていく。
北欧の厳しい寒さの中で。

カトリは賭けに出る。

アンナの屋敷にマッツと自分が住めるようになるために。
その辺にいても、ものの数に入れてもらえない弟の名誉のためにも、弟にボートを与えたい。
 

人が期待することは口にしない、カトリの対応のしかたが、気に入ったアンナ。
「おそろしいまでに誠実、ほかの人とはちがう、あなたは信頼にあたいする」 

カトリと弟はアンナの屋敷に引っ越す。
マッツはひっそりと、古い屋敷の扉や窓、すきま風、ランプの修理に細やかな配慮を見せる。
アンナは整理をし、片付ける、数学的な才能で。
波に洗われた岩礁のように・・・郵便物、請求書、壊れた家具の処分、台所。

And so the wolf and the bunny begin a dance

冬は新しい段階に入り、快晴が続く。

アンナの契約書は、混沌のまま、放置されている。
猟犬の本能で、カトリは書類を探し出し、秩序だて、整理し、計算する。 
実務的でないアンナが、契約への無関心から手に入れ損なっている金額を、カトリははじき出す。

カトリの金銭にたいする関心は度をすぎていると、アンナは言う。
「自分の家庭では、お金の話題は適切でないとされていた」 

カトリは蒼ざめる。こんなにも無造作にお金をドブに捨てている。
余裕があるからこそ、お金のことを考えずにすむ、おっとりと、まっさらなイデーも持てるのだと。

かくして、カトリはアンナの秘書になる。
無秩序な契約をたてなおし、損失を補填して発生した報酬は、アンナとマッツの分け前にする。

マッツへのボートのために・・・



ふたつの異なる内面の投影

トーベ・ヤンソンの評伝、『ムーミンの生みの親、トーベヤンソン』(トゥーラ・カルヤライネン著)では、本書についてこう解説されている。

「トーベは、アンナとカトリの二人に自分自身を、つまりふたつの異なる内面を投影させたと述べている。さらにカトリとアンナのモデルは、旧約聖書に出てくるカインとアベルであると明かしている。最初はアンナがアベルのようにふるまうが、物語が進むにつれて役割が交代する。」 


絵本画家であるアンナは、もちろんトーベ自身を連想させるし、絵のライセンス料を確認するカトリも、トーベを連想させる。
トーベは、成功とともに、押し寄せるムーミン・ビジネスの膨大な契約や経理の書類の山を、秘書を雇わずに自分で処理していた。

「みんなが自分をだましているのでは?」というアンナの疑念、マネーゲームに混乱するカトリ、成功への周囲の嫉妬。
「マッツとわたしは生み出そうとする。だけどあなたは計算するだけ・・・。」という、ふたつの内面。


merimaa88-tove.hateblo.jp


トーベは、この作品・・・「誠実な詐欺師」を書きながら何度も行き詰まったという。
「他の作品とは違って、四六時中この本のことを考えていたわ。三年ものあいだ(トゥーティーはそれ以上というけれど)この本の周りをうろうろし、書いてはそれを書き直す日々だった。」

アンナとカトリの二人に命令されて混乱した犬は、野生に戻り森へ逃げる。もうカトリの命令は聞かない。 
子どもの頃から周囲にあった自然、野生といったものさえも、ビジネスに忙殺され、手を離れて行く心情だろうか。

マッツのボートの行方は・・・?

春が近づき、夜が明らんでくる。

色彩を大切にする画家、トーベ・ヤンソンは、降り続く雪の白、氷のグレー、夕暮れの金色、数本の絵の具でこの小説を描いた。

「ニス塗りの一枚一枚、小さな道具のひとつひとつが光をたたえて、夕焼けと静寂にみちて、ボートの作業部屋じゅうが鈍い金色に光っている。」

トーベ自身のボートへの愛情、配慮が物語にもにじみ出る。

ボートの作業場。弟のマッツが、たえず戻りたいと思っている場所。 
かんな屑とタールとテレピン油の匂い。

ヴェランダに積もる雪の吹きだまりと同じ曲線(カーブ)を持った、美しいボート。


「誠実な詐欺師」のミステリアスな展開は、続編をぜひ読みたいと思ってしまう。

読者は物語が進むにつれて、カトリに思い入れをしていくのでは?
春が訪れ、氷が割れるように、カトリの心が粉々に飛び散り、その破片がこちらに突き刺さってくるような鮮烈さが残る。


f:id:Merimaa88:20150615212014j:plain

降り続き、降りつもる雪のようなリズムで、ミステリアスに、どこかしら少し現実からずれてストーリーが進んで行く『誠実な詐欺師』は、村上春樹訳のノルウェーの作家、ダーグ・ソールスター『NOVEL 11, BOOK 18』と似た雰囲気がある。  
 


誠実な詐欺師 (ちくま文庫)

誠実な詐欺師 (ちくま文庫)

  • 作者: トーベ・ヤンソン,冨原眞弓
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2006/07
  • メディア: 文庫